クスグルログ
    あかちゃんがわらう。お母さんもわらう。 言葉じゃないコミュニケーション。 大人になってもきっとある。そこから平和を始めよう
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ほんとうの「強さ」
「強さ」っていうもののとらえ方で人間は大きく二種類に分けられるような気がする。

強引かもしれないけど仮に分けてみると、
多数派はきっと、強さとは「勝つこと。」であり、
「誰にもナメられないこと。」や、そういった態度や精神性だと答えるのではないかと思う。
もちろん勝負の世界ではそれは真実で、文字どおり〈勝・負〉〈勝・敗〉と二極化された構図の中でひたすら〈負〉を乗り越えて〈勝〉を目指すもの、という志向性がある。
その中には一つの矢印しかなくて、答えが明白で多くの人と共に単純に信じられるものがある。

しかしもう一方の人は(きっと少数派だろうけど)こう言うだろう。
強さとは「自分の一番弱い部分を受けとめられること。」

私は後者を「本当の強さ」だと信じる側だ。

そこには単純に図式化できる構図がない。

前者の「強さ」は他人との比較の中に感じられたり、競争によって答えが出るもので、社会の中で相対的に実感できるものだけど
後者の「強さ」はもっとストイックに自分の中だけで向き合って全てを受け止めていかなければならないものだと思う。
誰かが評価してくれるわけでもない。

どこかに答えや基準があるわけでもないから、
「自分はいよいよ強くなったぞ・・・」なんていう英雄的陶酔感に浸れるわけでもない。

ただただ自分の弱さも間違いも有りのままに受け止めながら、それでも卑屈になったり自尊心を損なったりせず、また野心や虚栄心に捕らわれず足を地に付けて生きようとする行為だと思う。


当然私も含めなかなかそういう行為に耐えられる人はいない。
自分の弱さに向き合うなんて、一番苦しいことだ。
だからこそ、それができる人は一番強いと思う。


その(後者の)ほんとうの「強さ」の追求を捨てて、
わかりやすくて答えの出やすい前者の「強さ」を
代替的に追求しようとするのは、もはや人間の「弱さ」だと言ってもいいと、
私は思うんだ。

スポーツなどの勝負の世界だって突き詰めると、
競争に「勝つ強さ」だけで本当の強さを測れない。
「弱さ」を知ってこそどんな局面にも決して折れない強さを
得ていくものだと思う。


しかし人間は自分の力や価値をより客観的な基準で確かめたいために、
「勝つ強さ」を脅迫的に求めるのかもしれない。


競争社会での他人との比較の中での「強さ」、
国際的競争の場での国の「強さ」、軍事的な「強さ」
そういうものを「私達の強さ」「私の強さ」に結び付けて確認
したくなるんだろう。


「私」や「私達」の強さとはそんなところにはない。



「軍隊のない国=弱い国」ではない。


人の人格で想像してみても・・・

暴力や武器で強い気になって他人を威嚇するのではなく、
交渉力で周りとの関係を安全に築ける人は
暴力で他者から恐れられてる人より絶対強いと思わない?


どんな凶暴な相手にケンカを売られても、武器で応じては
結局レベルが一緒だと私は思うんだけど・・・。

もともと力を振りかざして感じの悪い態度でいること自体が
相手の気をそそのかして、ケンカを売られる確率を高めてるようなもの。
交渉力以前に基本的なコミュニケーション力の問題だ。


それよりどんな人からもケンカを売られない超然とした態度と、
ユーモアと、余裕があって、相手を脅す武器や力をあえて持たなくても
自信がある人って一番尊敬されると思う。



それから、
他国への加害の事実を素直に受け入れることは「自虐」や「弱さ」ではない。


喧嘩両成敗というように、喧嘩したらどちらも怒られるのが
子どもの時からの社会の道理だった。
「でもそっちが先に・・・。」なんて往生際が悪い口答えをすると、さらに
「自分の非を棚にあげて人の非ばかり訴えるな!」と余計に怒られた。

他人の非難もつべこべ言わずに受け入れて、自分の非について真摯に
「ごめんなさい。」と謝る態度は大人の証だと教えられた。
あの道徳はどこへいったの??


自分の非を静かに内省できるという態度には
成熟した理性と、強い感情の耐性が求められるうえ、
客観的に自分を省みる高度な社会性がいる。


「本当の強さ」とは、そうやって教えられてたはずのものだと思うんだけどな・・・。



残念ながら多くの人間は前者の(「勝つ」)強さを本当の強さだと信じたいために、
大きな軍事力を持つことに反対しなかったり、あるいはそういう意見に引きずられやすいのだろうと思う。


「アジアの国にナメられるな!」
「軍事力の強い国に肩をならべよう!」
「自虐史観を捨てよ!」
 って・・・・。


その土台はただ何かに怯えるだけの弱い心だと思う。


                           チョコホリ
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【2006/06/08 20:29】 | チョコホリ的「へいわ」考 | トラックバック(0) | コメント(6)
国のためか 国民のためか 
教育基本法が 改正されようとしていること。

これは、国にとって大問題だ。

”教育” と ”国の姿勢”というのは
”脳” と ”人格”に匹敵するくらい直接的な作用関係にある。
そのことは隣国の反日教育や北朝鮮などの教育の成果を見ても明らかだと思う。
”教育”の操作は 直接”人間”の操作であって、
”国”の操作にいちばん繋がるものだ。


だから、他人事じゃなくみんなで真剣に考えないとホント怖いよ・・・


でも改正案を読んでみても、どうなっちゃうのかピンとこない。

文章上はちゃんと「平和」や「民主的」「人権」などの言葉があって、問題ないようにも見える。

これが怖い。

政治は言葉のまやかしを使うから、こっちも賢くならないとよくわからないうちに権限を持った役人のいいようにされてしまう。

内容についてわかりやすいサイトがあった jump to ”あんころ”
”教育基本法の基礎知識”ってところをクリックして、その中に改悪案をちょっとわかりやすくしたチラシがあったよ。
 ☆改正案と現行の内容の比較だけが見たいならここ

改正案をよく読んでみると、
「お国のための人間を作ろう!」
って感じが伝わってくる。
現行のものは、
個人の人権や民主的な精神を育てよう!
って、制定時の希望と光明に満ちた感じがするんだけどな・・・。

現行で、「平和を希求する精神を養う」という表記が
改正案では「正義を希求する精神」に変えられてる 
ねらいが不気味。

「宗教に関する寛容」とだけ言及する現行の文句に、わざわざ「宗教に関する一般的な教養」と補足をくわえる必要って何・・・!!?

微に入り細に入り 言葉の操作で解釈の幅を狭めて
おおらかさがないのが改正案。

男女共学の文も削除されてるし・・・!
発言や信条も本当に自由に持って良いって感じじゃない。

やだやだ、そんな教育・・・。そんな窮屈な国。

直接の思想統制じゃなくても、この法律が定める以外のことを自由にできないようになってる。

改正反対の動きは切実なもの。
私も何かしなきゃ。

今政府は急ピッチで法案成立に持ち込もうとしてるから、
今動くしかない。署名活動でもなんでも!

じっとしてたら後の子供たちがえらいことになる。


教育だけは国に勝手にハンドルをとられたらまずい気がする・・・。


                           チョコホリ

テーマ:時事と教育 - ジャンル:学校・教育

【2006/05/05 02:19】 | チョコホリ的「へいわ」考 | トラックバック(2) | コメント(4)
「へいわ」と「戦争」=「協」と「競」
タイの天国と地獄の話を知ってますか?

テーブルの上にたくさんの食べ物がのっていて、
それを人々が囲んで長い長い箸を使って食事をする。
食べ物を自分の口に運ぼうとすると箸が長すぎて
全く口に食べ物が入らず、ずっと空腹が満たされないのが地獄。

ところが、同じような状況を利用して長い箸を使って向かいに座ってる人の口に食べ物を運び合うことで自分も他人も満たされるというのが天国の発想なんです。

「状況」ではなく、「発想」が天国と地獄を作っているというのです。


この話は大学の恩師がよくしてくれたものですが、
自分が満たされることだけに必死なときは
永遠に満たされることはない。
他人や周囲を満たそうとした時に初めて自分は満たされうる。
そういう経験がないうちは、いくつになっても人は子供なのだと
恩師がこの話をもって伝えたかったことを、
今になって噛みしめることが多いです。
今の世の中みんなが「自分だけは人生からこぼれないように」とか、「隣よりいい生活ができるように」・・・と、自分の幸せばかりを追ってどこかずっと満たされない人ばかりで、タイの地獄の餓鬼に似てるんじゃないかと思ったりします。
私もその地獄にいることがよくある。
自分自分・・・って思ってるときって本当に苦しいし、とめどなく
寂しい。周りが見えなくなるし、多角的な発想などできなくなる。

他人の口に食べ物を運んでやれる関係っていうのは、ものすごい信頼関係だと思う。自分がおなかが減っているときにそんな発想は出てこないし、すごく勇気がいるものだ。
それは銃社会で、自分だけ身を守るための銃を捨てるのと
同じ勇気だと思う。

けれど、私はその勇気が最終的に自分の空腹を救うことを信じている。

ところで、非武装主義と武装主義の考え方はそのままこの
タイの「天国思考」と「地獄思考」に符号すると思う。

ムックさんのブログの、9条護憲派と改憲派のやりとりで改憲派の人からこんな発言があった。 →jump!

『アジアの平和というのは具体的になにかわかりませんが、
日本だけが安全であることが日本が平和である最大の条件です。』

そのために日本は軍隊を持って自分の国だけを守ろう
という発想だった。

その発想って、自分の口だけ満たそうとする、タイの餓鬼の発想だな・・・と思って悲しくなった。
こういう発想がある限り、天国は遠いのかもしれない。

この社会が、他人へのまなざしや「協力」よりも「競争」を煽る社会であるかぎり、自分の口に食べ物を運び続ける地獄の発想ばかりだろう。

でも考え方一つで、「天国」(世界平和)は理想でなく可能ってことだと思う。
発想を柔軟にして、
天国の発想を広めよう!

                         チョコホリ

テーマ:平和憲法 - ジャンル:政治・経済

【2006/03/31 22:57】 | チョコホリ的「へいわ」考 | トラックバック(0) | コメント(7)
国家・民族賞揚の『じーん・・・』
留学中の友達が、イギリスの植民地だった国で4年に一度開催されるCommonwealth Game(国民競技会?)というオリンピックみたいな競技会を見に行ったらしい。今年の開催地はメルボルンで、初めて競技場を見た友達は巨大なスタジアムに驚いたらしく、「蟻地獄みたい」と表現していた(^^)

しかも、街ではアジア系を多く見る他民族国家のオーストラリアで、その競技場だけはほとんど白人でうまっていて表彰式の時にはほとんど全員が起立して国歌を歌うらしい。
その情景を、友達はブログにこう書いていた↓

『競技と同時進行で表彰式も行われてたんだけど、一位の選手の国家が流れる時ってみんな起立するんやね、知らなかった0_0!一人の選手(ひとつの国)をたたえるために何万人って人がみーんな起立する姿はじーんときました。』

スポーツにうとい私でも、絶対そういう場に居合わせたらじーんときちゃうだろうな・・・と思う。
普段はスポーツなんて関心のない私でも、オリンピックやワールドカップにかじりついて応援してしまうこともあるし、テレビの前で感極まって泣くこともある。日本人が世界の場で表彰台に立った時は単純にとても嬉しいし、日本のサポーターや観客が一体になってる情景なんかは誇らしく思うことすらある。
そういうのは、人間の自然な感情なのだと思う。

きっと、国旗・国歌をことさら敬うことを国民に強いて、せめて満場の起立を要請する日本の式典などでの風潮も、そういう『じーん』を共有したいんだろうなあと思う。
日本民族の厚い歴史と伝統をひっくるめた『じーん』を・・・。

わからんでもない。

時には素直に『じーん』ときたい。
あついつながりを感じたい。
そういう心に水をさす気はないのだけど、その裏のいろんなことを知ると、『じーん』とこれない人もいるんだってこと、その存在をどこかで知っておきたいと思う。

そのメルボルンの競技場の内と外の両方にいつも世界があるんだってことだと思う。


                           チョコホリ

テーマ:国家・民族・集団意識 - ジャンル:政治・経済

【2006/03/25 16:10】 | チョコホリ的「へいわ」考 | トラックバック(0) | コメント(4)
「ごめんね」という良心
おととしの11月、アメリカの大統領選挙のすぐ後で、
こんな動きが出た。

「世界のみんなごめんね」 → Sorry Everybody 

「アメリカの先ごろの選挙が世界の多くの人達に影響を与えたことを実感しています。いかがわしい私達のリーダーがムチャクチャしてても、私達の大半(願わくば!)は、本当に本当に遺憾に思っていることを覚えていて下さい!」
って。

サイト内にある画像をクリックすると、いろんな人が「ごめん!」と書いたメッセージを持って顔入りで登場する。

なんてざっくばらんな国やろう・・・。

「不適切な選挙結果を、僕たちのほとんどが賛成してない。」
「できることはしたんだ・・・。」
「僕らの49%は賛成していない。」
「信じて!私らもめっちゃムカついてるの!」
「オハイオの半数はひどく遺憾なの。私達を嫌わないで。」

パンダ1「竹食ってて投票忘れてた・・。」
パンダ2「知ったこっちゃないよ。」



これに対抗して ブッシュ政権賛成派がYou'r Welcome Everybody
っていうサイトをパロディーで作ってるらしいけど・・・。

こういうざっくばらんな議論ができることが、
日本から見たらすごいと思う。

私なんてこんな小さなブログでも
ドキドキしながら書いてるのに・・・。

しかも、熱い反政府運動とかじゃなくて、
紙と鉛筆だけで誰でも参加できるし、ユーモアもある。

例えば日本でこんなことやるとしたら・・・
(日本はアメリカほど謝るような悪いことしてないじゃないか・・・!!という反論があるだろうことは承知で、
その点は差し置いて・・・)

「総理が靖国行ってごめんね」
「僕らの52%はあの政党に賛成してないんだ!!」

なんてネット上で顔を出して言おうものなら、
とても冗談とはとれない誹謗中傷攻撃に見舞われる。

Sorry Everybody に対して、他の各国から
Apologies Accepted (謝罪は受け取った)っていう
アンサーサイトができてるけど、(これも面白コメントいっぱい)


日本の政府ではなく、普通の人達と、
中国、韓国の普通の人達の間で、
こんなやりとりが普通にできたらいいのにな・・・。



                         チョコホリ 


【2006/03/09 18:03】 | チョコホリ的「へいわ」考 | トラックバック(1) | コメント(6)
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